セミナー備忘録:電子教科書のドリルをどうする!?(2)~「教育の再設計」とEDUPUB

7月28日付記事に書いたように、このセミナーがカバーしたイッシューとしては大きく3点があった(IMS Content Packaging/IMS QTI /IMS LTI)わけだが、一番これから論議を呼びそうなのは、セミナーのタイトルにもなった「ドリル」、「QTI」だ。

プレゼン資料29/35を見てみる。

標準装備かリーダー依存か

標準実装とリーダー依存

左右に伸びる矢印があって、左側が双方向性担保(標準実装)とあり、右側がリーダー依存(双方向性の濃淡はリーディングシステムによる)とある。

論議を呼ぶ、というのは、左右どちらを「よし」とするか、これは立場によって変わってくるから。判断軸がひとつではない。

「教育のデジタル化」は、「教育の再設計」を伴う。デジタル化でこれまでの授業がより効率的に、学習がより生産的になってほしい。しかしことは再設計なので外延はどこまでも伸びていきうる。そのため、抱いている、「デジタル化された教育」の具体的なイメージが人によってかなり幅があるのだ。

電子化で読み上げ機能がつくと障害を持った人に便利。障害をもたない人でなくとも語学系の教材が機能をアップできる。学生が重たい本を持ち歩かなくてよい。

そういう立場もあるだろうし、上記は確かによく指摘される電子教科書導入のメリットだが、それだけでは、「教育の再設計」とは言わない、のでは、とすることもできる。

「教育の再設計」とEDUPUB

テストの結果が自動で集計され、分析され、そして分析結果が先生の手元に帰ってきて次回の授業に活用できる。そうなれば、校務負担が減り、より中身の濃い授業の準備ができる。

それを実現するのには双方向性担保(標準実装)がベストだ、ということになる。

ちょっと注意したいのは、ここでいう「interactive」が「機械が読める」ということだという点(あるいは、機械が読めて初めて、先生と生徒や生徒同士の「interactive」も実現するという点)。テストの結果が自動で集計され、分析され、そして分析結果が先生の手元に帰ってきて次回の授業に活用できる。そういうことを、「自動」で実現するには、データが「双方向」でやり取りされ、コンピュータがテスト結果のデータを認識できないと始まらない。しかもデスクトップや、LAN接続ではなく、ネット、Webがここでは前提。

となると、「テスト」データがネット、Webで使われる記述言語、HTML5に基づいていると便利(そもそも電子書籍のフォーマット、EPUBはHTMLとCSSをZIPで固めたもの)。しかし現在の「QTI」はHTMLに準拠して記述されてはいない。独自のXML形式で記述されている。

すると、

A.QTIの改変を行う(HTML5化)
B.独自XMLとHTML5の橋渡しを「LTI」で行う
C.集計、分析なんてやらない(別の、つまり電子書籍の仕様とは切り離した形での対応とする)

の3つの道筋が見えてくる。

しかしQTIを作ってきたIMS Globalに、現状A.に舵を切るような動き、方向性は見えない(将来変わるかもしれないが)。Bで行こうとすると、「LTI」の方で大作業が必要。まあ、C.が無難かなともなりえる。

しかし考えて欲しい。

B(あるいはA)が実現すると、単に集計、分析だけでなく、そのうえに立ってたとえば、学習者の理解の程度に応じて出題内容を変えていく、よりカスタマイズされた、学習者の個々の二―ズに応える高度な教育が、コースウェアとして組み込まれた形の「教育のデジタル化」が実現するじゃないか。

そう構想するひともいる。

いやいや電子教科書の仕様を検討するEDUPUBの作業はあくまで、配信フォーマットとしての仕様を決めればいいだけで、「教育の再設計」はまた別途、教育学の世界でやってもらえれば、と考える人もでてくるだろう。

こうして、プレゼン資料29/35の、左右どちらを「よし」とするか、これは立場によって変わってくるのだ。


この記事をまとめるにあたって、イーストの下川和男さん、ベネッセの飛禅信祟さんにご示唆、ご指導をいただきました。ありがとうございます。

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